エゴン・シーレ
Egon Schiele
エゴン・シーレはオーストリアの画家。1890年、ウィーンにほど近いトゥルンに生まれる。15歳のとき、最大の理解者であった父が精神病を患い死去。喪失感を埋めるように、また自己肯定のために多くの絵を描き、最初の自画像集をまとめる。1906年、弱冠16歳でウィーンの美術アカデミーに入学し、歴史・肖像画を学ぶ。その翌年にグスタフ・クリムトと出会い、強く影響を受ける。
09年、素描において優れた成績を残すも、美術アカデミーの旧制度に反発して自主退学し、友人らと「新芸術家集団」を結成。権威あるミートケ画廊で最初の展覧会を開催した。その後は集団を離れ、尊敬するクリムトの装飾的で耽美な作風とは異なる独自の裸体画を模索。大胆なボーズを取る裸体を、視覚を惑わす歪な線で描き、無防備でありながら緊張感をはらむ表現主義的な画風を確立した。ヌード・モデルをめぐっては、たびたび誘拐やわいせつ罪で告訴され、12年に不道徳な作品を広めたとして、およそ1ヶ月拘留される。
15年、エディット・ハルムスと結婚。まもなく徴兵され、プラハとウィーンに配属。戦場から戻ると、風景画なども意欲的に制作し、多数の美術展に出品する。18年にクリムトが死去し、企画していた「第49回ウィーン分離派展」に実質的な後継者として参加。本展の展覧会ポスターを手がけ、展示では新作を50点以上発表して成功を収める。同年に妻がスペイン風邪で亡くなり、その2年後に早逝。享年28歳。