中川佳宣 卓上の発芽 240003

中川佳宣 卓上の発芽 240003

中川佳宣 卓上の発芽 240003
中川佳宣 卓上の発芽 240003

今回の個展のタイトルは30年ぶりに(views of seeds, eyes of farmers)「種の視点、農夫の目」とし、平面とレリーフ状の立体物で会場を構成しようと考えている。

「種の視点」とは、非力であるがチャンスがあれば発芽しようと準備を怠らない種子のことであり、進化の過程で綿毛を付け、あるいは羽を持ち風に乗り遠くに飛んで行けたり、人の衣服や動物の毛に付着して移動したり、鳥などに食べられることで子孫を繋いで来たのである。そのしたたかな戦略家をコントロールして来た技が「農夫の目」なのである。農夫の目は常に変化する季節や天候を読むためのセンサーでもあり、人間の都合に合わせて交配を繰り返し、良い品種を作り続けて来たのである。

agricultureという言葉を頭の片隅に置いて制作するようになったのは大学の2回生の頃のように思う。80年代の終わり、イメージの復権、新表現主義の時代の中で、自分を成立させているものは何か、自分の表現の核になるものは何かと迷っていた時に、ジャクソン・ポロックのドキュメンタリービデオを観たことで、次元の違う2つの世界を結びつけることを思いついた。

農業を生業として私の父の家系は大阪の南東部の河内平野で暮らして来ており(私の父は末っ子だったので大学に行かせてもらい教師の道を選んだが)そんな伯父の仕事ぶりが大好きで付いて回る幼年期であった。

伯父の家は私の自宅の近くで農業を営んでいた。伯父は桜の花が咲き終わると畑を耕作し田植えの準備を初めていた。水田の脇に苗代と呼ばれている小さな水田を作り、種籾を蒔いて行くその姿はドキュメンタリーで観たポロックのドリッピングと呼ばれる技法により、寝かせた状態のキャンバスに絵の具を垂らし混んで行く姿と重なったのだ。

苗代の周りを歩きながら種籾を蒔く伯父はポロックという画家の存在をおそらくは知らない。ポロックもまた自分の行為とよく似た行為を日本の農夫がしてたことを知らなかったと思えば、この両者を知る私はそれを結びつけることで「自分を成立させているもの」が何であるかに気づき、表現出来るのではないだろうかと思いついたのである。

agricultureとは、農業を示すagri という言葉に、文化の意味を持つculture という言葉でで出来ている。cultureという言葉には「耕作」するという意味も含まれており、そのことでも私の興味を刺激するものであった。agriculture とart を結び付けるなど他人にとってはどうでも良い話ではあるが、私は素材を耕しながら制作して来ていることは事実である。

自分の学生時代に実習で描いた課題の油絵や他人が捨てた使い古しのキャンバスをイメージが無くなるまで削り、洗って、磨き、そこに最小限の絵の具を乗せて自分の表現として来た。

人からよく「あなたの作品には平面のものと立体のものがあるが、なぜですか?」聞かれる。

強いて言えば「種を蒔く」などの行為を意識すると空間の中で立体物として立ち上がる。それに対して「蒔かれた種」の存在を考えると畑あるいは苗代の中に「蒔かれた」という結果としてしか言いようがなく、私にとっては平面のあるいは平面的な作品は全て結果なのだと思っている。

今回、(two ridges)「2つの畝」というタイトルの同じ形態のものが上下で合わさったレリーフの立体物は畑の畝を耕す行為の中から生まれたもので、鍬を畝に振るって手前に引く時の土が見せる形状から来ている。真ん中に出来た溝に肥料や腐葉土を入れた後、埋め直し、綺麗に整えてられて次の種蒔きの時を待つのである。

この労働の鍬の動きが見せる土の一瞬の形を永遠のものにしたくて生まれたもので、2008年に一度制作したこともある形である。今回、改めてこの労働の見せる軌跡をモチーフにレリーフ状の作品を作ろうと思った動機は、上下の関係をより明確な(色であったり、テクスチャーであったり)ものにして空間の中に提示してみたいと思ったからである。

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卓上の発芽 240003

2024

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今回の個展のタイトルは30年ぶりに(views of seeds, eyes of farmers)「種の視点、農夫の目」とし、平面とレリーフ状の立体物で会場を構成しようと考えている。

「種の視点」とは、非力であるがチャンスがあれば発芽しようと準備を怠らない種子のことであり、進化の過程で綿毛を付け、あるいは羽を持ち風に乗り遠くに飛んで行けたり、人の衣服や動物の毛に付着して移動したり、鳥などに食べられることで子孫を繋いで来たのである。そのしたたかな戦略家をコントロールして来た技が「農夫の目」なのである。農夫の目は常に変化する季節や天候を読むためのセンサーでもあり、人間の都合に合わせて交配を繰り返し、良い品種を作り続けて来たのである。

agricultureという言葉を頭の片隅に置いて制作するようになったのは大学の2回生の頃のように思う。80年代の終わり、イメージの復権、新表現主義の時代の中で、自分を成立させているものは何か、自分の表現の核になるものは何かと迷っていた時に、ジャクソン・ポロックのドキュメンタリービデオを観たことで、次元の違う2つの世界を結びつけることを思いついた。

農業を生業として私の父の家系は大阪の南東部の河内平野で暮らして来ており(私の父は末っ子だったので大学に行かせてもらい教師の道を選んだが)そんな伯父の仕事ぶりが大好きで付いて回る幼年期であった。

伯父の家は私の自宅の近くで農業を営んでいた。伯父は桜の花が咲き終わると畑を耕作し田植えの準備を初めていた。水田の脇に苗代と呼ばれている小さな水田を作り、種籾を蒔いて行くその姿はドキュメンタリーで観たポロックのドリッピングと呼ばれる技法により、寝かせた状態のキャンバスに絵の具を垂らし混んで行く姿と重なったのだ。

苗代の周りを歩きながら種籾を蒔く伯父はポロックという画家の存在をおそらくは知らない。ポロックもまた自分の行為とよく似た行為を日本の農夫がしてたことを知らなかったと思えば、この両者を知る私はそれを結びつけることで「自分を成立させているもの」が何であるかに気づき、表現出来るのではないだろうかと思いついたのである。

agricultureとは、農業を示すagri という言葉に、文化の意味を持つculture という言葉でで出来ている。cultureという言葉には「耕作」するという意味も含まれており、そのことでも私の興味を刺激するものであった。agriculture とart を結び付けるなど他人にとってはどうでも良い話ではあるが、私は素材を耕しながら制作して来ていることは事実である。

自分の学生時代に実習で描いた課題の油絵や他人が捨てた使い古しのキャンバスをイメージが無くなるまで削り、洗って、磨き、そこに最小限の絵の具を乗せて自分の表現として来た。

人からよく「あなたの作品には平面のものと立体のものがあるが、なぜですか?」聞かれる。

強いて言えば「種を蒔く」などの行為を意識すると空間の中で立体物として立ち上がる。それに対して「蒔かれた種」の存在を考えると畑あるいは苗代の中に「蒔かれた」という結果としてしか言いようがなく、私にとっては平面のあるいは平面的な作品は全て結果なのだと思っている。

今回、(two ridges)「2つの畝」というタイトルの同じ形態のものが上下で合わさったレリーフの立体物は畑の畝を耕す行為の中から生まれたもので、鍬を畝に振るって手前に引く時の土が見せる形状から来ている。真ん中に出来た溝に肥料や腐葉土を入れた後、埋め直し、綺麗に整えてられて次の種蒔きの時を待つのである。

この労働の鍬の動きが見せる土の一瞬の形を永遠のものにしたくて生まれたもので、2008年に一度制作したこともある形である。今回、改めてこの労働の見せる軌跡をモチーフにレリーフ状の作品を作ろうと思った動機は、上下の関係をより明確な(色であったり、テクスチャーであったり)ものにして空間の中に提示してみたいと思ったからである。

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取り扱い タグチファインアート
サイズ 24.6 x 33.7 x 5.2 cm
素材 油彩・キャンバス・熱・石膏・綿・蜜蝋
商品コード 1100035464
配送までの期間 展覧会終了後1週間
備考 本作品は店頭併売品につき、品切れの場合にはご注文をキャンセルさせて頂く場合がございます。
予めご了承ください。
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